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◆◆◆私の生い立ち◆◆◆
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1943年(昭和18年)6月12日香川県大川郡大内町に、宮脇正二、ヒデの12人兄妹の末子に生まれました。父は当時大内町の収入役でありました。私が13歳(昭和31年)の時、満61歳で病死しました。母はその40年後93歳までかくしゃくとして私ども一族の良きリーダーとして生きました。 「学問は荷物にならぬ宝」「外は天に恥じぬ、内は己に恥じぬ人になれ」母はそのようなことを日頃から私どもに語り聞かせ、私は貧しくとも健やかに育ちました。 戦後まもなくは世相を反映して様々な事件が多発する中、私は、裁判官とか政治家を夢見たこともありましたが、高校に入ると文学に傾斜して、詩人になりたいと思ったこともありました。思春期に父の死や、竹馬の友との別れなどを経験し、私は文学部哲学科に入学しました。当時、ヴォーボォワールの「第二の性」という本にカルチャーショックを受けました。 しかし大学を卒業するも、このごろと同じように不況で就職難で吹田市で小中学校の講師をすることになりました。やがて郷里に帰り、学習塾を経営しながら、実母や舅の介護など平凡な主婦の生活のなかで、平成9年に女性ではじめて町議会議員にチャレンジしました。そして受動的にながめていた政治が実は私たちの生活、そして私たちの子や孫の行く末を、大きく左右するものであることに気づき、「政治は私たちの問題ネットワーク」という小さな会を作って毎月「政経塾」で勉強会をしています。 歴史の大きなうねりの中で、日本を変えたいと思うようになりました。 「自由」と「平等」を信じ自然と共生する「公正」で「公平」な福祉国家をめざして。 |
子供たちと一緒に
瀬戸内海国立公園 「津田の松原」清掃活動 |
町会議員選挙初の
女性議員として当選 |
同級生のオペラ歌手
林康子を囲んで・・・。 |
◆◆◆ポエム◆◆◆
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